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東京地方裁判所 平成10年(ワ)13282号 判決 1999年6月23日

原告

甲野春子

右訴訟代理人弁護士

岩下孝善

被告

東京産業信用金庫

右代表者代表理事

石井傳一郎

右訴訟代理人弁護士

池田清英

主文

一  被告は、原告に対し、別紙物件目録<略>の建物について、東京法務局大森出張所平成六年一二月二日受付第五六七二一号根抵当権設定登記の抹消登記手続をせよ。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

本件は、原告が、被告に対し、所有権に基づき、別紙物件目録<略>の建物について、根抵当権設定登記の抹消登記手続をすることを求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  原告は、別紙物件目録<略>の建物(以下「本件建物」という。)を所有している。

2  本件建物について、被告のため、東京法務局大森出張所平成六年一二月二日受付第五六七二一号根抵当権設定登記(以下「本件登記」という。)がされている。

二  主要な争点

1  原告は、根抵当権の設定をしたか。

(被告の主張)

原告は、被告に対し、平成六年九月七日、株式会社Wを債務者とする極度額三〇〇〇万円の根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)を設定した。ただし、設定登記は二か月間留保するとの合意であった。

(原告の主張)

当時Wの代表者であったUは、原告の実妹の長男であるが、平成六年九月ころ、被告担当者のSから、「本件建物に根抵当権は付けないが、形式上登記に必要な書類を預からせて欲しい。」と言われた。そこで、Uは、本件建物の権利証、実印、印鑑登録証を原告宅から無断で持ち出し利用した。本件根抵当権の設定契約証書(以下「本件契約書」という。)の原告の氏名・住所は、Wの女性従業員に書かせたものである。

2  原告は、Uに対し、本件根抵当権設定の権限を授権していたか。

(被告の主張)

原告は、Uに対し、平成六年九月ころ、本件建物の処分を含む一切の権限を与えていたものである。

3  民法一一〇条の基本代理権、正当事由の存否

(被告の主張)

原告は、高齢で外出が思うに任せないことから、日頃から、地主との借地に関するあらゆる法的折衝や地代の納付、年金の管理に至るまで、各種の行為をUに依頼し、その中には、実印、印鑑票、建物の権利書等の管理も含まれていた。

Uは、原告を代理し、年金受給のための口座を開設したり、被告担当者に対し、本件建物敷地の賃貸借契約書や地代の通い帳を持参していたのであり、被告担当者としては、Uが原告の代理人であると誤信してもやむを得ない状況であった。

第三  争点に対する判断

一  争点1について

本件契約書(乙一)の原告名下の印影は原告の印章によるものであり(争いがない。)、しかも、右印章は原告の実印である(乙三)から、本件契約書には真正に成立したものと推定することができる。

しかし、本件契約書の原告の署名は、高齢者(明治四〇年生まれ、乙三)の手によるものとは見受けられない整ったものであり、本件訴訟の訴訟委任状の署名とは大きく異なり、むしろ別人がしたものと判断される。そして、Uは、原告の主張のとおり、権利証、実印、印鑑登録カード等を原告に無断で持ち出し、本件契約書の署名はWの女性従業員にさせたものであると述べていること(甲四、証人U)、原告の養子である甲野夏夫は、原告が本件登記のことを知ったのは、平成九年が初めてであると述べていること(甲六、証人甲野夏夫)、被告担当者のSは、平成六年九月七日、原告の意思確認のため、Uとともに車で原告宅に向かったものの、Uが原告は体調が悪いので刺激したくないと述べたことから、結局Uが一人で家に入り、原告とは面会しなかった(乙五、証人S)というのであり、あえて車で原告宅近くまで赴きながら、ことさらUが原告とSとの面接を妨げたものといえることなどの事情を総合すると、前記推定にもかかわらず、本件においては、Uが原告に無断で本件契約書を作成したものと認めるのが相当である。

したがって、争点1についての被告の主張は、理由がない。

二  争点2について

被告は、原告がUに対し、本件建物の処分を含む一切の権限を与えていたと主張するが、本件全証拠によっても、右事実を認めるに足りない。

この点に関し、平成六年当時、Uは本件建物敷地の借地契約の期限が近づいていたことから原告のため地主との交渉を行っていたし、Uは、Sに対し、当時、原告が高齢で外出も思うに任せないので、生活の面倒から右交渉まですべてを任されていると述べていた(乙五、証人S)。しかし、借地の件について任されていたのは、借地権の買取りや契約更新等の法律行為そのものではなく、その前段階の交渉ごとであるし、右交渉は基本的には客観的に原告の利益につながることであるのに対し、本件根抵当権の設定はもっぱら原告の不利益となる行為であること、高齢の原告にとっては、むしろ、住居である本件建物の確保は主要な関心事であるといえることからすると、前記事情から、Uが一切の権限を授権されていた旨推認することは到底できない。

争点2の被告の主張は理由がない。

三  争点3について

被告は、SがUから土地賃貸借契約書や地代の通帳を呈示された(乙五)ことをもって、正当事由を基礎づける事情として挙げるが、右二に述べたとおり、地主との交渉ごとと本件根抵当権の設定では質的に大きく異なる行為であり、右の点が本件において、正当事由を基礎づける重要な事情となるとはいえない。

本件では、Uは、本件建物の権利証、原告の印鑑証明書を持参していたし、本件契約書には実印が押捺されていたのであり、これらの事情は一般的には、正当事由を肯定する方向に働く重要な事情であるといえる。しかし、前記のとおり、本件契約書の署名は、高齢者の署名としては不自然に整っていること、そもそも本件根抵当権設定は、Wの代表者であるUを利するものではあるが、原告にとっては一方的に不利益となるものであること、原告はUの伯母であり(この点は争いがない。)、かつUが高齢な原告の身の回りの世話をみていたという両者の関係に照らすと、Uが権利証、原告の実印や印鑑登録カードを持ち出すのはさほど困難ともいえないと推測できることなどの事情に照らすと、金融機関の担当者であるSとしては、本件根抵当権の設定が原告の真意であるかどうか、本人に直接面談して確認すべきであったといえ、安易にUの言を信じて右確認を怠ったSには過失があるといえる。

したがって、民法一一〇条の正当事由があるとはいえず、被告の主張は理由がない。

四  そうすると、原告の請求は理由がある。

(裁判官 太田晃詳)

(別紙)物件目録<略>

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